日本最古の厄除けの霊地



多井畑厄除八幡宮は、日本最古の厄除けの霊地として広く知られ、
古来より「多井畑の厄神さん」として人々の厚い信仰を集めてまいりました。
兵庫県神戸市須磨の地に配流された在原行平が当宮にて祈りを捧げたと伝えられる他、
一の谷の合戦に際しては、源義経も武運長久を祈願したとの言い伝えも残っています。
また、770年(神護景雲四年)六月、世に疫病が蔓延した折には、災厄の鎮静を願い、
五畿内――大和・山城・河内・摂津・和泉――の国境十ヶ所に疫神をお祀りし、
厄祓いの祭祀が執り行われました。
当宮は、こうした古い歴史と祈りの伝承を今に受け継ぎ、
厄除けの御神徳を仰ぐ社として、今日も多くの参拝者をお迎えしております。
毎年一月十八日より二十日までの三日間は、厄除祭が厳かに執り行われ、
厄年のお祓いをはじめ、疫病退散・病気平癒を願う参拝者で大いに賑わいます。
由来



この地は、古山陽道において摂津国と播磨国の国境に位置していたことから、
その一所として当宮に疫神が祀られたと伝えられております。
称徳天皇・神護景雲四年六月、勅旨により疫神祓いが行われた遺跡であり、
のち高倉天皇の安元年間には、この霊地に京都・石清水八幡宮を勧請いたしました。
以来、世人の崇敬は篤く、前田出雲守、明石候松平家、領主蒔田家をはじめ、
多くの人々より深い信仰を寄せられてまいりました。
現本殿(杮葺・春日造・極彩色)は、
後村上天皇・延文五年〔約六百三十年前〕の造営にかかるものであり、
應永五年には拝殿が、長亨元年には現本殿の覆屋(前田出雲守親常の寄進)がそれぞれ建立されました。
近年に至るまで境内を拡張し、社殿も整えられ、
ますます壮厳さを加えております。
また、中世以来、一月十九日の厄除祭には、
全国各地より参拝者が絶えることなく集いました。
これは、当宮がわが国最古の疫神祭の霊地として篤く仰がれ、
その御神徳の顕著なることを示すものであります。